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第11回

フォトグラファーとしての本領を発揮するために

ちゅんちゅん、って。

 スズメの鳴き声。

 まるでマンガやドラマみたいなベタなシチュエーションみたいだけど、本当にスズメの鳴き声で目が覚めた。すごくたくさんのスズメたちが庭に来ているんじゃないだろうか。いつもこうなんだろうなきっとこの家では。

 焼けてなくなってしまう前の〈矢車家〉の奥の和室。

 十畳と八畳の続き間で、寝室にした十畳の方には床の間もあって当然のように掛け軸は掛かっているし、美しい花を挿した花瓶なんかも置いてあって。まるで高級和風旅館に泊まっているみたい。

 横を向いたら、すぐそこに重さん。

 まだ寝息を立てている。

 布団を並べて一緒に寝るのはさすがに恥ずかしかったけど、まぁここに泊まるのならそうなりますねって重さんと話していたんだ。一緒に暮らしている恋人同士ということで来ているんだから、別々の部屋に寝る方が不自然になっちゃうから。

 寝るときには少し布団の間を空けたし、眠っちゃったらもちろん何もわからなかったし。私はけっこう神経が図太いと思う。

 それに重さんは私の雇用主でもあり、そしていい人だ。

 こんな状況で変な気を起こすような人じゃない。きちんと気を遣えるし、優しいし、仕事もできる。どうしてカノジョとか恋人とかがいないのか不思議なぐらい。確かに会社の社長としてはちょっと押しが弱いところもあるけれど。

 枕元に置いといた腕時計を見たら、朝の七時。前の晩にけっこう飲んだ割にはすっきりと朝早く目覚めてしまった。

 そっと起きる。

 先に顔を洗ってしまおう。

 なんとここにはお客様用に洗面所やトイレが廊下の向かいにあるんだ。すごいお家だと思う。

 この家に住んでいるはずのまだ三十代のセイさんは、もうイギリスに行っている。そういえば何の用で行ったのか訊いていなかったけど、〈怪盗セイント〉として仕事をするために戻ったのか、それとも、何かまったく違う用事があったんだろうか。

 だから、あと五日間ぐらいは一緒にいるセイさんが、この近くをうろついてもこの時代の自分に会う可能性はないんだけど、周りは若いセイさんの知り合いばかり。今のセイさんは、三十代のセイさんをそのままいい感じに年寄りにしただけなんだ。本当に、変わっていない。だから、誰が見ても〈セイさんにそっくりなおじいさんがいる〉って思ってしまう。

(ゼッタイに顔は出せないわよね)

〈怪盗〉なんだから変装とかもすごいのかと思ったんだけど、〈ミッション:インポッシブル〉のトム・クルーズじゃあるまいし、体形ならともかく、顔を完全に変える変装なんか不可能だって。そりゃあそうですよね。

 それでも夜の街を歩くぐらいなら、ちょっとした変装で誰も気づかないようにすることはできるけれど、それはやっても無意味だから、どうしても必要があるとき以外はやらないって。

 買ってきた歯ブラシで歯磨き。この時代の歯ブラシってなんかすっごく固い気がする。強くやったら歯茎が傷つきそうだ。

 洗面所の壁に、小さな壁掛けのカレンダーが掛けてあった。誰の絵かわからないけど、きれいな風景画のカレンダー。

〈花咲小路商店街〉の四丁目のアーケードが火事で燃えてしまうまで、あと三日。

 三日しかない。

 正確には三日経って、四日目の夜に燃えてしまう。

 私たち二人が火事を起こしたんじゃないかって、たとえほんの少しでも怪しまれないように、少なくとも火事の前にはここを立ち去って、火事の直前の様子を撮影するためにちょっと変装してから戻ってこなきゃならない。

 だから、あと三日とちょっと。私と重さんはここに来ている人たちの写真を撮りまくって、そして火事を誰が起こしたかを調べなきゃならない。もしくはどうして起きたかを写真で押さえておかなきゃならない。

 たぶん、きっと、そうしないと私と重さんとセイさんが戻る現代で、何か起こってしまうんだ。火事にまつわることで、重大な事件が。もう起こっているのかもしれない。私たちのいない現代で。

 戻ったときには、たぶんこの間みたいに数分しか経っていなくて何も変わっていないことを祈るしかないんだけど。

 まだ、何にもわかっていない。

 昨日一日で、私たち二人がこの辺の写真を撮りまくっても、誰にも変に思われない状況だけは作ることはできたけど。

「焦ってもしょうがない」

 とにかく、動いて人と会って話して写真を撮りまくる。

 トヨタのライトエース。

 私たちの感覚ではワンボックスカーだ。でもこの時代にはこれもワゴンって呼ばれていたみたい。

 セイさんが、どこかから持ってきた車。どこから持ってきたかは、知らない方がいいから教えないってセイさんはニヤリと笑っていた。

 しかも運転免許証もセイさんは偽造してしまった。この時代のものは案外簡単に偽造できるんだってこともなげに言っていたけど、それができるのはセイさんぐらいの技量を持った人で、そうはいないと思う。

 車の形はそんなに私たちの時代と大きくは変わらないけれど、やっぱりどこか懐しいデザイン。流線型じゃなくてカクカクしているし、何よりも、ミラーがドアミラーじゃないんだ。二人であちこち回って撮影旅行する、っていう目的にはピッタリの車。まだこの時代にはそんな言葉もなかったはずだけど、車中泊も全然できる。

「よし、行くよ」

「はい」

 重さんが運転席に座って、〈矢車家〉の駐車場から車を出す。この近くには桜山っていう公園や遊園地みたいになっている山があって、そこの山の駐車場なら車の中で話し込んでいても誰も来ないし、不審には思われないって。

 隠れ家のバーにまっすぐ戻って、昨日の撮影分のフィルムを現像したいんだけど、このまままっすぐ車で移動して隠れ家の近くに車を停めるのを、たまたま昨日知りあった人たち、お店のお客さんとかに目撃されて不審がられても困るから、いったんこの山で風景を撮影するようなふりをして、ちょっとしたら隠れ家に戻る。そのときも離れた駐車場に停めて、歩いて隠れ家へ。

 セイさんが待っている。

「二日酔いはないですか」

「大丈夫」

 重さんがハンドルを握りながら笑った。

「飲み過ぎないように気をつけていたから。樹里さんは?」

「実は結構強いんです」

 でも、たぶん美礼さんには敵わないと思う。

「バーのママなんだからそんなに飲んじゃ仕事にならないと思うのに、ガンガン飲みまくって、しかも平気な顔してた」

「そんな感じだったよね」

「いつもこうだって、志津さんも言ってましたよ」

 まんまと、って言ったら悪党みたいだけど、二人で撮影の旅に出る前にこの〈矢車家〉や〈花咲長屋〉の写真を撮りたいんだってお願いしたら、志津さんもそしてお母さんである見里さん、お父さんであるポールさんも快く許可してくれた。むしろ、どんどん撮ってもらってその写真を欲しいって。

 プロに家の写真を撮ってもらえるなんて滅多にないことだし、この家の記録としても残したいから、何だったらこちらからギャラを払ってでもお願いしたいって。そして、長屋の様子も撮るんだったら、泊まっていったらどうですかって。それなら、夜の家の様子も撮れるって。

 もう何もかもセイさんの言っていた通りになった。

「本当に、信じられないぐらい良い人ですよね皆さん」

「まったく。でもね、〈矢車家〉って昔からそうだったみたいだよ」

「昔から?」

 重さんが微笑んで頷いた。

「僕たちの前、親父たちの年代だと、商店街の子供たちは皆同じことを聞かされて育っているんだ。〈何かあったら、矢車さんのとこに行きなさい〉って」

「そうなんですか?」

「地主ということもあったんだろうけどね。たとえば、商店街だから滅多にないことだけど、家に誰もいなくて鍵を忘れてしまったときなんか矢車さんの家に行けばいい、って感じかな」

「なるほど」

「実際、商店じゃなくてアパートに住んでいる子供なんかが、〈矢車家〉にお邪魔していたってこともあるみたいだったしね。交番に行くよりその方がずっと待遇がいいから」

 確かにそうかも。

「朝ご飯も美味しかったですよね」

「本当に」

 毎日あんな朝ご飯が食べられるのなら、ずっと住んでいたいって思ってしまう。

       *

 セイさんは隠れ家の一階の一部を仕切って暗室の準備をしてくれていた。

「話し合うのは写真を現像してからにしよう。プリントしたものを見ながらでなければ、誰を撮ったのかという話もできない」

「そうですよね」

「どれぐらい撮れたのかね?」

 セイさんに訊かれて、重さんが答えた。

「〈花咲長屋〉の〈スナック美酒〉に昨日の夜に来ていた常連やお客さんたちはほぼ全員撮れました。全部で二十人ぐらいいたかな?」

「それぐらいですね。もちろん、美礼さんの写真もバッチリです」

「後は、居酒屋の〈酒肴〉とラーメン屋の〈たっちゃん〉、バーの〈スタンド〉ですね。さすがに一晩ではそれぐらいでした」

「充分だろう。残りは歌声スナックの〈あずさ〉、それにおでんの〈味節〉、小料理屋の〈清兵衛〉にバーの〈カルチェェラタン〉だね」

「そうですね」

〈花咲長屋〉は全部で八軒。他にも何軒分かのお店のスペースがあるんだけど、今営業しているのはそれだけ。

「今夜で何とか全部撮って回れると思います」

「そうだね。では、現像に掛かってもらうとして、私はお昼ご飯を用意しておこう。美味しそうなカツを近くの総菜屋で見つけたのでね。カツ丼でいいかな。丼物ばかりで申し訳ないが」

 全然大丈夫です。むしろセイさんにお料理ばかりさせてもうしわけないぐらいです。

 重さんと手分けして、急いで昨日撮った分の写真を現像する。

「久しぶりです現像するの」

「僕もだ」

 今まで使ったことはないけれども、〈久坂寫眞館〉にも暗室はある。フィルムで撮影することが滅多にないんだけど、こうやって暗室で作業していると、フィルムの良さっていうのをまた実感する。

 昨日撮ったフィルムは、全部で六本。正直いくらでも撮れるんだけど、デジタルみたいに何十枚も撮るわけにはいかない。何せ後からこうやって全部現像して一枚一枚印画紙にプリントしていかなきゃならないんだから。

 たくさん撮りすぎると、時間もかかるし手間もかかる。

「重さん、昨日ポールさんと話していて、何か感じたりしました? その、美礼さんと志津さんが腹違いの姉妹みたいなこと」

「いやまったく」

 そうですよね。いくら何でもそんなことがすぐにはわからないと思うけど。

「いろいろ話したけど、確かにセイさんの言っていた通り、優しそうなきちんとした男性だったよ。まぁ初対面でそんなきわどい話なんかはできなかったけど、少なくとも、そうだな」

 重さんがちょっと考えるように言葉を切った。

「腹違いってことはさ、ポールさんが奥さんの見里さん以外の女性を妊娠させて、そして美礼さんが生まれた。年齢差でいうとたぶん志津さんはその後に生まれたってことだよね」

「そうですね」

 美礼さんは三十八歳だった。そして志津さんは三十六歳。二年の開きがあるんだ。

「それなのに、美礼さんはこんなポールさんの近くにいて、見里さんと志津さんとも親戚のように毎日を過ごしているっていうのは、全てがまったくの秘密になっているのか、それとも知っている人がいるのか、どっちにしてもこれかなりスゴイっていうか、ドラマみたいな関係性だよね?」

「そうですよね!?」

 それはずっと思っていた。そんなことあるんだろうかって。

 もちろん人それぞれ人生いろいろだろうから、そんな関係性があってもおかしくはないんだろうけど。

「とてもそんな秘密というか、関係性を維持しているような人には見えなかったっていうのが、印象かな」

 私もそうだ。ポールさんとはそんなに話はできなかったけれど、優しそうなおじさんだった。

「さて、紙焼きは昼ご飯の後にした方がいいかな」

「そうですね」

 よく勘違いされるけれど、現像っていうのはフィルムを処理することで、いわゆるプリントとは違う。現像処理をしたフィルムを使って、印画紙に紙焼きするのが、俗に言うプリント。まぁ現像したら普通は紙焼きまでやるので、まとめて現像しておいて、なんて言っちゃうけれど。

 そして紙焼きは、慣れていないとなかなかムズカシイんだ。

 セイさんが作ってくれるご飯はこれで二度目だけど、本当に美味しそうに見えるし、実際美味しい。

 本当の意味で器用な人って、きっと何をやらせてもできてしまうんだなって思う。

「いただきます」

「いただきます」

 カツ丼、久しぶりかも。お味噌汁もあるし、お新香もついている。どこかの美味しい定食屋のメニューにしても全然イケる味と見た目。

「あ、この時代のセイさんが電話してくることはないんでしたよね?」

 カツを頬張って重さんが訊くと、なかったね、ってセイさんが言う。

「はっきりと覚えているよ。この時代の国際電話は高い。そもそもイギリスにいるときに日本へ電話をしたことは、過去においては一度もないから安心したまえ」

「一度もなかったんですか?」

 訊いたら、セイさんが肩を竦めた。そういう仕草は本当に外国の人だ。

「そういう必要のない状況にしておいたからね。〈怪盗セイント〉として動くときに、いちばん困るのは突然の電話だ。もちろんその当時は携帯電話などないから、家に掛かってくる電話だが、夜中に掛けてこられてそこにいるはずの私がいないとなると、どうなるかね」

 あぁなるほど、って二人で頷いてしまった。確かにそうだ。

「携帯電話が世界中に普及して、娘の亜弥も持つようになってからは、さすがに幾度かはあるがね。私も年を取ったし、一人でイギリスに戻ったときには娘が心配するからね。しかし、それはまだまだ先の話だ」

「そうですね」

 セイさんの娘さんの亜弥さんとは、まだ全然お話ししたことがない。無事に現代に戻ることができたら、ゆっくり話してみたいな。

「紙焼きにするのは、昼からになるだろうね」

「そうですね」

「そうなると、乾燥させるのにも時間は掛かるから、ここはジュウくんに任せて先にジュリさんが〈矢車家〉に戻った方がいいのではないのかな」

「私だけ?」

 セイさんは、うむ、って感じで頷いた。

「紙焼きなどはジュウくん一人で充分だろう。二人でここにずっといるのは時間がもったいない。ジュリさんが戻れば昼間の〈矢車家〉の様子や、四丁目の様子も明るい内に押さえられるだろう」

「あ、そうですね。昼間の家には見里さんも志津さんもいるし、話を聞けますよね」

「そうだ」

「じゃあ、重さんは何をしていることにしますか?」

 えーと、って重さんが考えた。

「それこそ、知り合いのスタジオに車で行って、昨日の分の現像をしてるって言えばいいんじゃないかな? 事実だし、実際撮った写真の何枚かは見せられた方がいろいろ信用してくれるんだから、後で持ってきますって話をして」

「それがいいだろうな」

「でも、セイさん、ここで撮った写真が残っちゃったら」

 未来に何か影響するかもって思ったけど、セイさんが頭を軽く横に振った。

「〈矢車家〉の写真を家に置いてくるだけなら、何も問題ないだろう。数日後には何もかも火事で消えてしまうのだ」

 あ、そうでした。

「じゃあ、ご飯食べ終わったら歩いて〈矢車家〉へ戻りますね」

「そうしよう。紙焼きができたときにまた皆で話をするが、何か特に気になった話を聞いたり、人物に会ったりしたかね?」

 セイさんがもうカツ丼を食べ終えて、お茶の用意を始めた。この間も思ったけど、セイさんお年の割には早食いですよね。

「僕は特には」

「あ、私はですね。気になったと言えば」

「あるの?」

 ちょっとだけ気になったんですよ。

「夕方に家の外観を撮影していたときなんですけど、向かい側ギリギリまで行って少し遠くから狙っていたら、外出から帰ってきた見里さんがちょうど通りかかったんです」

 うん、って二人して頷いて、それからどうしたって顔をした。

「そのときに、中通りから出てきた男の人がいて、ちょうど私と見里さんが話しているところに来たんですけど、ちょっとヤクザっぽい感じの人」

「ヤクザっぽい人?」

「そうなんです」

 いかにもヤクザっていうような格好をしているわけじゃなくて、どことなく雰囲気があぶない人。

「それはつまり、暴力団員の雰囲気があったってこと?」

「ありました。私の感覚ですけど」

 うん、ってセイさんが頷いた。

「ジュリさんもジュウくんも優秀なフォトグラファーだ。フォトグラファーの良い資質というのは雰囲気をきちんと写真に収められることだ。即ち、その人物が持つ雰囲気を的確に掴むことができるということ。その感じは信用できるだろうね」

「その人が、見里さんに声を掛けてきたんだね?」

「そうなんです」

 はっきりと。

「見里、って名前で呼んでいました」

「名前で」

「そして、見里さんは、一瞬ですけど驚いたような戸惑った顔をして、答えました」

       *

「お久しぶりね」

 見里さんが、すっと居住まいを正したような気がした。

 それを見て、それから私の方もちらっと見て、男の人は少し何かを押し殺したような気がした。

「久しぶりだな。何をしてるんだ?」

 男の人が、私が持っている一眼レフに眼をやった。

「こちらはね、篠塚吉子さん。プロのカメラマンのお嬢さんなのよ。フォトグラファーって言った方が今はいいのかしら」

「へぇ」

 男性の私を見る目つきが少し変わった。ただの若い女の子を見定めるような感じから、何かを確かめるような目つきに。

「じゃあ、撮影でもしているのか。あの家を」

「そうなの。このお嬢さんともう一人ご主人がね。夫婦でカメラマンなのよ。こういう街の写真を撮られていてね」

 見里さんが、少しだけ表情を硬くした。恋人って説明したのにご主人ってここで言ったってことは、見里さんがこの男の人にはそう言った方が、嘘ついた方がいいって判断したってことか。

「篠塚さん、こちらはね丸子橋さん。ここの主にあたる人なのよ」

 丸子橋さん。あまり聞かない名字。

 そして主ってことは、店主とか、オーナーってことだろうか。思わず看板を見てしまった。私からすると本当にレトロな文字の〈スマートセンター〉という看板。

「町並みを写すから、当然この辺りも写ることになるけれども、もちろんいいわよね。町並みを撮るのに許可など必要ないけど」

 見里さんが少し早口になってそう言うと、丸子橋さんは、少し眼を大きくしながらも、小さく顎を動かした。

「もちろんだな。ただ町並みを撮るんだったら誰の許可もいらん。店の中なら言ってもらわなきゃ困るけどね」

「そんなことはしないわ。今日は何か用事でもあったのかしら? ここに来るなんて珍しいけれど」

 ちょいとな、って丸子橋さんが建物を見た。

「たまに顔を出さないと、いろいろ煤けちまうからな。アーケードも出来たことだしな」

 その言い方に、何か険があるような気がした。

      *

「丸子橋」

 セイさんが考えた。

「知ってますか?」

「〈スマートセンター〉の主だと言ったんだね? 見里さんは」

「言いました」

 ふぅむ、って感じでセイさんは顎に右手を当てた。

「〈スマートセンター〉って、確か〈矢車家〉の斜め向かいにある遊技場みたいなところでしたよね?」

 重さんが言う。

「そうだ。遊技場とはまた古い言い回しを持ってきたね」

「ポールさんはそう呼んでましたね。卓球とかビリヤードとか、スマートボールとかいろいろあるんだと」

 スマートボール?

「何ですか?」

 聞いたことがない名前。

「知らない?」

「知りません」

「ジュリさんが知らないのも無理はないが、さてあれをどう説明すればいいか」

 セイさんが首を傾げた。

「えーと、ピンボールマシンは知ってるよね? こうやるの」

 重さんが腕を拡げて指で何かを押す仕草をした。

「知ってます知ってます。アメリカの映画でよくあるやつですよね? どこかのゲーセンでも見たことあります」

「そのピンボールマシンみたいな遊具って思えばいいよ。白いボールが出てきて、それを台の上で弾いて穴に入れていくんだ」

「なるほど」

 まだよくわからないけど、雰囲気は何となくわかったような気がする。

「昔はどこの街にでもあったのだがね」

「縁日とかでもよくありましたよね」

 そういえばあったね、って二人して頷いている。とにかくそういうピンボールのような遊びなんですね。

「確かにあそこの経営者は、丸子橋という人だったはずだ。ただあそこはだね、火事の後にすぐ潰れてしまったのだよ」

「そうなんですか」

「私が知り合いになる前に関係者は誰もいなくなり、やがてまるで関係のないアパートが建ったのでね」

「潰れたのは、火事のせいですか?」

 セイさんが首を傾げた。

「それは、私にも何とも言えない。ただ、あそこはどうも暴力団が表の商売としてやっていたという話を後から聞いた」

 暴力団ですか。

「表向きには卓球やビリヤードができたりする、健全で誰もが入って遊べるような遊技場だったようだ。だが、スマートボールではパチンコよろしく景品交換ができたようだし、奥の部屋では賭博も行われていたらしい」

「賭博って何を」

 重さんが訊いた。

「いろいろあったらしいね。古式ゆかしく丁半博打から、カジノよろしくポーカーやルーレットまで」

「本格的にやっていたんですね」

「そんな店が〈花咲小路商店街〉にあったんですか?」

 重さんが少し驚いた顔を見せた。

「聞いた話でしかないのだが、遡れば丸子橋の家は〈矢車家〉と同じぐらいに、この辺りでは力のあった豪農だったらしい」

「豪農ということは、地主さんでもあったんですね?」

 重さんが言った。

「そうだろうね。しかし結局は〈矢車家〉がこの辺り一帯の地主になったのだから、いつの時代かはわからないが衰退したか、あるいはすべてを〈矢車家〉が吸収したのだろう」

「それじゃあ、昔の話なんですから、それこそ江戸時代とかまで遡れば、丸子橋さんはこの辺りを仕切っていた侠客とか博徒とか、ですか」

 かもしれないね、ってセイさんが言う。

「その辺りのことはまるでわからないが、ああいう大きな店を持っていたということは、それなりの土地持ちだったのだろう」

「じゃあ、私が会ったあの丸子橋さんは」

 そうかもしれない、ってセイさんが頷いた。

「おそらくでしかないが、暴力団絡みの人間なのだろう。ジュリがそう感じたのはきっと正しい。しかし」

 セイさんが、顎に手を当てた。

「気になるな」

「なりますよね? 私もずっと気になっているんです。特に見里さんの、その丸子橋さんに対する態度が」

「暴力団に関係しているから、何かそういう態度だったのかな?」

 たぶん、そうなんだろうか。

「よく見知っているのに、どこかよそよそしくしてましたし、何よりも久しぶりってお互いに言っていたので、普段はそこにいない人なんですよね?」

「何よりも気になるのは、ジュリさんを紹介するのに、ジュウくんのことを〈夫〉と呼んだことだね。わざわざそんなふうに言ったということは、丸子橋が女癖が悪くて、ジュリさんを守るために言ったとしか思えないのだが」

「僕もそう思いました」

「それについて、ジュリさんは見里さんに後から訊かなかったのかね?」

「訊けませんでした。すぐに見里さんは家に戻ってしまって、その後は私もまた重さんと合流しちゃったので。まさか皆のいる前ではそんな話はできなかったし、何よりも見里さんが触れてほしくなさそうだったので」

 ふむ、ってセイさんが顔を顰めた。重さんも唇を曲げた。

「何か、ありますね」

「あるのだなきっと。位置的に向かい側に暴力団がやっているとの噂もある遊技場。そしておそらくは昔から因縁があったのだろう、両家の間に」

「その話は何も聞いていないんですね? セイさんは」

 頷いた。

「まるで聞いていないね。その丸子橋なる人物の写真は撮れたのかな? 状況からすると無理だったか」

「いえ」

 そこは、私だっていっぱしのカメラマンです。

「バレないように、遠くから一枚撮りました。正面からは無理でしたけど、顔ははっきりわかります」

「急いで紙焼きするよ。気になりますね、その男」

 重さんが言って、セイさんも、確かに、って続けた。

「私は側面から丸子橋家のことを調べてみよう。二人は今夜にでも、誰かからその丸子橋についての話を何とかして聞きだしてくれたまえ。あくまでも、怪しまれないように」

 了解です。

Profile

小路幸也

1961年北海道生まれ。「東京バンドワゴン」「花咲小路」シリーズのほか、『三兄弟の僕らは』『マイ・ディア・ポリスマン』など著作多数。

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