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第4回

アリバイは成立

都内の公立小中学校では「道徳」の公開授業が行なわれている。保護者に限らず、誰でも見学できるとのことなので、私も出かけてみることにした。
 小学校6年生のクラス。配られたプリントによると、その日の「主題」は「ほこりある生き方」だった。題材はパラリンピック(走幅跳)の選手である佐藤真海さん。そして授業の「ねらい」は以下の通りである。 

  佐藤真海さんが、逆境を乗り越え目標をもちながら生きる姿を通して、よりよく生
  きようとすることのすばらしさを理解し、自らも困難を乗り越え、人間としてより
  よく生きていこうとする心情を育てる。

 佐藤さんが「よりよく生きよう」としている「すばらしさ」を理解して、自分も「よりよく生きていこう」と思うように導く。『学習指導要領』にある「よりよく生きる」をそのまま念押しするかのようだった。
 授業内容は教科書(『小学道徳 生きる力 6』日本文教出版 平成30年 以下同)の「ほこりある生き方 スポーツの力」に準拠している。学生時代に骨肉腫になり、右足の膝から下を切断した佐藤真海さん。「どうして、私ばかりがこんな目にあうの……」と「暗いやみの中につき落とされたような日々が続きました」が、その後、義足をつけて陸上競技に挑戦し、ついにはアテネパラリンピックに出場する。さらには東日本大震災では被災地を訪れて「被災地の人々をはげまし」て「子どもたちを元気づけました」。そして「つらいできごとがあって、たいへんな目にあったとき、前向きに生きていくためには、新たな夢や目標をあたえてくれるものが必要だ。私にとって、それはスポーツだった。もっと多くの人に、このすばらしさを広めていきたい」と決意する物語。
 スポーツのすばらしさを広めようとする彼女のすばらしさを理解させようとするわけで、「すばらしさ」が重複している。すばらしさのすばらしさを考えるようで、もしや「すばらしさ」のサブリミナル効果を狙っているのだろうか。
 授業が始まると、先生がまず黒板にこう書いた。
「どうして私ばかりこんなことがあるのだろう」
 教科書を読む前に考えてみましょう、とのことで、生徒たちは思いつくことをプリントに書き出し、次々と指名されて発表した。「自転車にトリのフンが落ちた」「ふざけていたら自分だけ怒られた」「何もしていないのに自分のせいにされた」「サッカーで僕だけケガをした」……。あまり覇気がない回答ぶりを聞きながら、私はこう思った。
 フラグとはこのことか。
 察するに、生徒たちは「なぜ私ばかりこんなことがあるのだろう」と思うことは間違いであることをすでに承知している。そう思ったことを後悔する、というのが「道徳」の典型的なパターンなのだと。実際、教科書を読んだ後に先生が「佐藤さんの生き方で……」と言い淀むと、ひとりの女子がこう口を挟んだ。
「見習う」
 すかさず先生は「そう、見習うべき姿だね。道徳の教科書に出てくるくらいですから」と補足した。そして生徒たちに「見習うべき姿とはなんでしょうか」「自分もマネしたいなと思うことはどんなことですか」と発問すると、ひとりの生徒が手を挙げた。
「すぐに立ち上がる。前向き!」
 彼女は標語のように唱えながら教室内を歩いたのである。「道徳」の授業は他の生徒と話してもよいことになっており、何やらシュプレヒコールの様相。別の女子は先生に指名されてこう答えた。
「大切なのは失ったものではなく、今の自分、そしてこれからの自分だと気がついたことです」
 見事な回答、と感心したのだが、これは教科書の本文中の一節だった。彼女はそのまま音読しただけなのだが、先生は「教科書のいいところを抜き出すのはとてもいい」と褒め讃えた。褒め言葉まで「いい」が重複しており、彼らはまるで復唱を学ぶかのようだった。
 教科書ではこの章で「尊敬する人のすごいところはどこかな」と考えることになっているのだが、それも「すごいところはすごいところ」「すごいところがあるから尊敬している」と答えられそうで、もしかすると「道徳」は同語反復の世界なのかもしれない。そういえば、かつて芥川龍之介がこう指摘していた。

  道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。
               (『侏儒の言葉・西方の人』新潮文庫 昭和43年)

 道徳とは語彙の節約。実際、学習指導要領の徳目も簡潔である。「誠実」「節制」「親切」「感謝」「礼儀」「信頼」「公正」「公平」「感動」などの熟語はそれぞれ内容が完結しており、無駄がない。そこに考えを加えようとすると、誠実に誠実さを追求したりして重複に陥ってしまう。それに徳目に反することは、これらの語頭に「不」や「無」を付けることになり、おのずと否定形になるわけで、正否は明らかなのだ。
 考える必要のない道徳。授業も「時間と労力の節約」を目指しているようで、だから福田君(小6/前回登場)が指摘したように「ササササッと終わる」のではないだろうか。

「道徳は楽しいです」
 潑溂と答えたのは私立の小学校に通う大塚さん(小6)だった。あまりに爽やかな笑顔に私は「そ、そうなんですか」とたじろいだ。
「道徳が嫌いな人なんていません。みんな『楽しい』と言っています」
――みんな? どこが楽しいんですか?
「人物の気持ちを考えるのが好きなんです。同じ人物でも場面によって気持ちが変わるじゃないですか。授業でもズバズバと意見が出ますよ」
――ズバズバ?
「みんな考えていることをズバッと言うんです。意見が出すぎて、先生がストップをかけるくらい」
 彼女が通うのは女子校だった。「道徳」は女子会のようなものなのだろうか。
――休み時間みたいなものなんですか?
 そうたずねてみると、即座に「ちがいます」と否定された。
「休み時間は存在感の強い人が中心になるので発言にもためらいがあります。でも、『道徳』は各自が言いたいことを言える。人の意見を聞いて『私はちがう』とか、付け足しとかしたり。たとえ同じ意見でもちがう言葉で言い換えたりするんです」
――それって勉強なんでしょうか?
 私は率直に質問した。聞けば、彼女の将来の夢は「医師」。他に勉強すべきことがあるのではないだろうか。
「医師に必要なのはコミュニケーションじゃないですか」
――そ、そうですね。
 思わずうなずく私。昨今の若い医師はパソコンのデータばかり見て、患者に向き合おうとしないのだ。
「気持ちを考えるというのは大切なことじゃないでしょうか」
――……本当にそうですね。
 私は畏まった。道徳を否定すると不道徳になってしまうのである。
「それに『道徳』をやっていると、言葉が優しくなるんです」
――言葉が?
「例えば『温厚』という言葉を授業で知って、優しくなったんです。2年生の時に『親切』を知って人にも優しくなりました。知らない言葉を知ることは大切だと思います」
――なるほど……。
「親切」を知って親切になる。語彙が感情を育むということか。ちなみに彼女は「道徳」の中でも伝記が「大好き」だという。ナイチンゲール、マリー・キュリー、野口英世……。特に「心に残っている」のはアンネ・フランクらしい。
「困難な状況で日記を書き続けていたこと、他人の意見に惑わされず、自分の意見をしっかり持っていたことです」
――……。
 流暢な道徳解説にすっかり圧倒されていると、私の隣に座っていた林君(小6)がポツリとつぶやいた。
「理想的な人だ」
――理想的?
 いきなりの発言に振り向くと、彼はこっくりとうなずき、「理想の人間だと思います」と言い直した。坊主頭の林君は公立小学校に通い、地元の野球クラブにも所属している。勉強についてたずねると「ビミョー」とのことで「できるとも言わないし、できないとも言わない」と答え、「道徳」についても「発言する人もいれば発言しない人もいます。僕は発言しないほうです」。なぜ発言しないのかと問うと「先生に指されないから」と埒の明かない返答を繰り返していた。
「道徳は、えっと、すごさ」
 彼は「道徳」をそう定義した。
――すごさ?
「日本にある世界遺産のすごさをみんなで言ったり。すごい人のどういうところがすごいのかと話し合ったり、伝記を読んで『すごい大変だったんだな』と思ったり」
 確かに「感動、畏敬の念」は「道徳」の徳目のひとつである。徳目には「伝統と文化の尊重」もあるので、彼の言う「すごさ」は道徳的といえる。「すごい」と感動するのが「道徳」で、同学年の大塚さんも「すごい」ということなのだろう。
――大塚さんみたいな人はクラスにいるんですか?
 試みにたずねてみると、彼は即答した。
「います」
――誰?
「角さんです。勉強は全科目できるし、運動もできる。群を抜いてできるんです。センスもいいし、キレイだし。全部すごくできるすごい人です。それに僕が勉強でわからないことがあると角さんが教えてくれます」
 熱弁をふるう林君。
――先生みたいな人なんですか?
 彼はうなずき、こう答えた。
「僕は歴史が好きなんですけど、歴史の面白さを教えてくれたのも角さんです。角さんから戦争の悲しさも聞いて、僕は自衛隊に入りたいと思ったんです」
――自衛隊?
 唐突な展開に私は目を丸くした。
「はい。航空自衛隊に入りたいです」
――な、なんで?
「誰かのために命を費やす。それがカッコいいと思います」
 聞けば彼は毎日、戦闘ゲームに取り組んでいる。好きな言葉はゲームの中に出てきたセリフ「誰もが無理だと言った。でも可能にした」だという。伝記も好きらしく、太平洋戦争下のパラオ諸島で満身創痍となって戦い抜き、「不死身の日本兵」と称された舩坂弘の物語を「すごいです」と讃える。すごさを証明できるのは戦場らしいのだ。
 何やら戦時中に流布された「肉弾三勇士」のような話だが、「道徳」の徳目には「規則の尊重」「集団生活の充実」「社会正義」「国や郷土を愛する態度」などがあり、「自衛隊に入りたい」というのは立派な道徳的希望といえる。読み返してみれば徳目には「反戦」「非暴力」などはなく、全体的に自衛隊への勧誘のようなのである。
 早まらせてはいけない。咄嗟にそう思ったのだが、自衛隊を否定することは不道徳になりかねないので、こうたずねてみた。
――もしかして林君は角さんのことが好きなんですか?
 愛するがゆえの戦いかと確認したかったのだが、彼は首を振った。
「タイプじゃないです」
――そうなの?
「言っていることがちょっと難しくて」
――難しい?
「細かいところもあって、いちいち注意されるんで、そこが苦手です」
 すごいけど苦手。近寄り難い「すごさ」らしいのである。
 別の男子も女子のことをそう言っていた。なんでもクラスに「すごい強くて過激な女子がいる」と。彼女が他の女子たちを仕切り、「菌がついている!」などと言って弱い男子をいじめる。ターゲットにされた男子は不登校にまでなったらしいが、その女子が転校することでクラスは「完全に平和な共和国」になったという。
 男子たちの話を聞いていると、どうやら「すごい」のは女子。小学校の「道徳」の鍵を握っているのは女子のようなのである。

「言い合うのは楽しいんですけど、書くのは難しいです」
 そう答えたのは公立小学校に通う加地さん(小6)だった。彼女は実に穏やかな表情で、見たところすごみは感じられない。「道徳」の授業でも、みんなで言い合うなら次々と答えが思い浮かぶが、プリントなどに書くとなると「あんまり思いつかない」と悩んでいるらしい。
――なんでだろう?
 私が首を傾げると、彼女が続けた。
「例えば、『私のいいところ』です。何を書けばいいんだろう、ってすごく迷います」
 学習指導要領にある「個性の伸長」。「自分の特徴に気付くこと」が必須とされ、彼らは「私のよいところ」を書き出して発表しなければならないのだ。
「よくないところはチラホラいっぱいあるんです。注意力がなくて忘れ物をする、よくモノをなくす、計画性がない、運動が苦手とか。でも、いいところは出てこない。だからしぼり出す感じで書くんです」
――どう書いたんですか?
 彼女はうつむきながらこう答えた。
「仕事をちゃんとやる」
――仕事?
「人からそう言われたので」
 聞けば、「私のいいところ」はひとりで考えるのではなく、グループで話し合って決めるらしい。話し合いの結果、彼女は「仕事をちゃんとやる」という結論に至ったのだ。
――それでよかったんですか?
 私がたずねると、彼女は首を振った。
「ちがう気がする」
――本当はどう言われたいんですか?
「若干、思いつくことはあります。でも、自分では書きづらい」
――それは何?
「頭がいい」
 彼女は恥ずかしそうに答えた。
「でもそれは他の人にも当てはまりそうで、確信が持てないんです。クラスには中学受験する人たちもいますから」
――でも頭のよさっていうのは……。
 そう言いかけると、彼女が遮った。
「私は人より飛び抜けているところがあまりないんです」
 涙目で訴える加地さん。その健気な様子に私は胸を打たれ、「そんなことはないと思う」と声をかけようとすると、こう続けた。
「だから『ちょっと頭がいい』ということに」
――ちょっと?
「そう『ちょっと』とか『少し』とか。受験する人ほど頭はよくないけど、『ちょっと頭がいい』。ちょっと頭がいいと少し思っている」
――『ちょっと』を付ければいんですね。
「そうです。『ちょっと』『少し』『まあまあ』。『どちらかといえばいいほう』とか」
 自分の個性は「ちょっと」ということか。彼女によると、グループでの話し合いで「いいところ」を表わす形容詞は「面白い」「優しい」「頭がいい」の3種しかないらしい。それらを獲得するにはそれぞれの分野で1番にならなければならないが、「ちょっと」を付ければ分け合える。個性というより「友達と仲よくし、助け合う」(『学習指導要領』)処世術なのである。
「あと、いいのは『努力している』です」
 続ける加地さん。
――努力しているんですか?
「いや、努力しているわけじゃないんです。ただ『私のいいところ』という場合に、『努力している』というのがちょうどいい」
「努力している」は無難ということか。言われてみれば「道徳」の徳目も「努力している」と付ければすべてクリアできる。「道徳」の授業も先生が努力しているし、生徒たちも努力していることにすればアリバイは成立する。おそらくこれが「道徳」の正解なのだろう。考える努力さえすれば、考えなくても済むのである。
 女子たちが仕切る「道徳」。私はすっかり学ぶ立場になったのだが、小島さん(小4)はまだ幼い子供のようだった。足をぶらぶら揺すりながら「道徳はふつう」と答え、「ふつうって何?」とたずねると「まあまあ」。「まあまあって?」と訊くと「ふつう」とのことで取りつく島もなく、「将来の夢は何ですか?」と問うてみると、こう答えた。
「ずっと子供」
――なんで?
「楽だから」
 さらりと断言する小島さん。道徳の教科書に準拠して「自分のいいところは何ですか?」と質問すると首をひねったまま黙秘するので、「悪いところは何ですか?」と問い直すと、
「言えない」
――言えないんですか?
「言わなきゃダメ?」
――ダメじゃないけど。
「内緒だよ」
 彼女はにっこり微笑み、テストの時にカンニングしたことを告白した。話し足りない様子なので、「他にも悩みがあるんですか?」と訊いてみると、こう即答した。
「男を好きになれない」
――えっ?
 意表をつかれ、私は息を吞んだ。もしやLGBTの問題ではないかとも思ったのだが、彼女はこう続けた。
「だって裏切るから」
――そうなんですか?
「男は裏切るでしょ」
 つぶらな瞳で見つめられ、私は完全にフリーズした。私も男だから信用できないということだったのか。考えてみれば、見ず知らずの男に本心を打ち明ける必要はないわけで、彼女なりに「善悪の判断」(『学習指導要領』)はできており、道徳的には正しいといえる。それを「寛容の心」(同前)で受けとめるのも私に課せられた「道徳」なのだろう。お互いにアリバイは成立しているわけで、それ以上私は質問できなかった。そういえば芥川龍之介はこうも言っていた。

  道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。
                      (前出『侏儒の言葉・西方の人』)

 人心を麻痺させる道徳。もしかすると道徳とは、即効性のある「すごい」毒薬なのかもしれない。

                    ※登場する小学生たちはすべて仮名です。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』『パワースポットはここですね』など。近著に『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』がある。

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