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第11回

モラハラのからくり

数あるハラスメント類の中で、もっともわかりにくいのは「モラル・ハラスメント(略してモラハラ)」だった。「精神的暴力」「精神的虐待」などと訳されているようだが、それならメンタル・ハラスメントというべきで、なぜ「モラル」なのだろうか。「モラル」とは「道徳的」という意味なので、そのまま直訳すれば道徳的ないじめや嫌がらせ。いじめをなくすための道徳でいじめるとなると、それこそマッチポンプになってしまうのではないだろうか。
 臨床心理士、弁護士、そして被害者が共同で執筆した『「モラル・ハラスメント」のすべて』(本田りえ、露木肇子、熊谷早智子著 講談社 2013年 以下同)によると、「モラル・ハラスメント」とは、目に見える暴力や虐待ではなく、「態度や言葉によるいやがらせを繰り返し、被害者に大きな不安や苦痛、恐怖を与え」ることらしい。道徳的に許されないハラスメントということなのだろうか。被害を顕在化させるのが「ハラスメント」の役割だったはずだが、モラハラは「客観的な証拠を示すことも難しい」ので、「他人に説明してもわかってもらえず、被害者は孤立しやすい」のだという。「わかりにくい」などと言うこと自体が被害者を孤立に追い込むそうで、私のような者こそきちんと学ばなければいけないのだ。
 ちなみに同書のサブタイトルは「夫の支配から逃れるための実践ガイド」。モラハラは夫婦間に生じることが多く、モラハラをするのはもっぱら夫らしい。これも略して「モラ夫」と呼ぶそうで、モラ夫は日常的に次のような行為を繰り返すという。

  人の気持ちを踏みにじって不安にさせる理不尽な態度

 暴力をふるう「暴力夫」と違って、モラ夫は「頭がよくて、弁が立ちます」とのこと。大抵は有名大学を卒業しており、家柄も外見もよい。性格も優しく親切で「いい人」「ステキな男性」だったのだが、結婚後に豹変するのだという。例えば、「ささいなことを持ち出して、相手に非があるかのように怒り出す」。そして「妻の言うことなすことを否定し、人格までも否定」する。「俺を怒らせるおまえが悪い」などと言って、「完全無視」を決め込んだり、少しでも反論すると「機関銃のように理詰めで説教」したりする。こうした行為を繰り返すことで「相手の自尊心や判断力を徐々に低下させ、行動や思考までもコントロールしようとする」というのがモラハラらしいのだ。

被害者の覚醒

 拷問か。
 私はそう思った。目に見えるあからさまな虐待。まるで自白を強要する取り調べのようで、被害者である妻は「恐怖でがんじがらめになり」、「〝その人らしさ〟を奪われていき、気持ちが不安定になり、逃げ場のない精神状態に追い込まれていきます」。しまいには心身症やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に苛まれたりするという。
 モラハラとは男尊女卑の産物なのだろうか。
 マチスモ(男性優位主義)の恐喝のようで一種の犯罪にさえ思えたのだが、同書に「典型的な例」として挙げられているエピソードを読んで私は首を傾げた。ニュアンスを損なわないように、そのまま引用すると――。

 ある朝、いつものように魚を焼く。
 夫はじゅうじゅうと音を立てている焼き魚しか食べない。いつものようにタイミングを計って食卓に並べる。
 リビングの隅で夫は新聞を読んでいる。
「ごはん、できたわよ」
 背中に話しかけても返事がない。
 「ごはん、できたよ」
 しばらくして話しかける。夫は新聞から目を離さない。どうしよう、魚が冷めてしまう……。
 魚が冷めたころ、夫はテーブルにつき、魚の上に手をかざし温度を測るふりをした後、魚の皿をわきに置く。
「俺にこんな冷めた魚を食わす気か」
 じっと魚の皿を睨みつける。
 私はまた立ちすくむ。

 思わず私は同書の出版年を確認した。妻というより夫に仕える家政婦のようで、一体、いつの時代の話なのかと訝ったのである。「夫はじゅうじゅうと音を立てている焼き魚しか食べない」とのことだが、それはモラ夫というより、ただのバカ夫だろう。「冷めた魚を食わす気か」という発言も、冷ましたのは彼自身なわけで、モラハラよりむしろ認知症(記憶障害)を疑ったほうがよいのではないだろうか。しかし妻は被害を受けているのだという。「不安になり、手が震えたり、立ちすくんだりしてしまう」そうなのである。
 一体、どういうことなのだろうか?
 夫婦関係の詳細はわからないが、このエピソードだけから「態度や言葉によるいやがらせ」を読み取るとするなら、むしろ妻のほうがモラハラをしているように私には思えた。いつもタイミングを計って魚を焼くというのは、相手からすれば、常に食べるタイミングを強要されていることになる。すべては夫のためにという良妻賢母的な道徳(モラル)を押しつけられているようで、それこそモラル・ハラスメントではないだろうか。ちなみに私などはかねてより妻に「朝御飯はつくらないでね」とお願いしている。朝御飯の支度というのは「私は朝からやるべきことをやっているのだから、あなたもやるべきことをやるべきではないかしら」という脅迫的なメッセージであり、寝覚めがとても悪い。スッキリ目覚めるために私は妻に「先に起きないでほしい」と頼んでいるくらいなのだ。
 このエピソードの「妻」はなぜ毎朝、朝御飯の支度をするのだろうか。魚の焼き加減にこだわる夫なら、「自分で焼けば」と言えばよいのではないだろうか。こういう仕打ちにあっても黙って毎日焼き続けるのは、自らの道徳的行為を貫徹しようとしているようで、モラハラされているというより、モラハラしている。さらには「モラハラされている」というモラハラまでしているのではないか、などと邪推すること自体がモラハラになってしまうようで、モラハラは疑惑が疑惑を呼ぶハラスメントなのだろうか。
 試みに同書に掲載されている「モラハラ行為のチェックリスト」で診断してみると、多くの項目が私ではなく妻に当てはまった。例えば、

 ・怒鳴る。強い口調で命令する
 ・何時間もしつこく説教する。問いつめる。反省文を書かせる
 ・『出ていけ!』と言う。家から締め出して、なかに入れない

 これらは妻の日常的な行為であって、私は一度もしたことがない。「モラハラ行為」を繰り返しているのは、夫の私ではなく妻。モラ夫ならぬモラ妻ということになるのだが、あらためて妻からハラスメントを受けているかと考えれば、私は怒られるようなことをしているので、先にハラスメントをしているのは私のような気がする。つまり一方的なモラハラとは言い難いわけで、妻に当てはまる他の「モラハラ行為」の数々も、モラハラには該当しないように思える。「モラハラ行為」なのにモラハラではない。「モラハラ行為」を受けているのにモラハラとは感じないというのも矛盾した話なのだが、我々夫婦は妻が仕事のマネジメントもしているので、例えば、

 ・あなたが人前でした発言・行為についてダメ出しをする

 という「モラハラ行為」は私にとって必要不可欠なことなのである。「支出内容を細かくチェックし、口を出す」(以下、カッコ内はモラハラ行為とされる項目)のも当然だし、「メールや電話、外出先で会う相手や話の内容をチェックする」するのもマネジメント業務の一環といえる。そして「あなたが外出する際、事前に自分の許可をとらせる」のはスケジュール調整のためであり、場合によっては「実家や友人、職場の同僚とのつきあいを制限または禁止する」ことになるのも道理だろう。私はよく寄り道をしたり、携帯電話を忘れたりするので「ひんぱんに電話やメールをしてあなたの居場所や行動を監視する」ことになり、「自分のメールにすぐ返信しないと(電話にすぐに出ないと)怒る」のも安否確認ゆえに仕方のないことである。受けている私からすると「態度や言葉によるいやがらせ」などではなく、むしろこれらの行為がぱたりと止んだら、愛が冷めたのではないかと不安になるだろう。
 こうした解釈は妻が仕事のパートナーという特殊事情なのかもしれないが、次のような「モラハラ行為」は業務を逸脱している。

 ・あなたの実家や親戚、友達をばかにして悪口を言う
 ・「頭が悪い」「役立たず」「何をやらせてもできない」などと言って侮辱する
 ・異常な嫉妬をする

 これらは明らかに「態度や言葉によるいやがらせ」といえる。となるとモラハラとして成立しそうなのだが、受けている私は慣れているのか、不安や恐怖を覚えることはない。体調不良の際に起こりがちな「いつものこと」という感じで受けとめているのだが、同書は次のように警告していた。

 モラハラが日常的に続いていると、当事者には、どこまでが普通でどこからが異常なのかがわからなくなります。誰にも理解してもらえないまま、長いトンネルのなかをさまよっているような感覚かもしれません。

 被害者たちは「マインドコントロール」を受けているので、虐待に気がつかないというのである。本人が虐待に気がつかないということが、モラハラの問題点。なんでも「多くの被害者が、『モラハラ』という言葉に出会って、自分の置かれている状況や被害に初めて気づいたとき、『目が覚めたようだ』と言います」とのこと。その目覚める時が「モラ夫がかけた魔法が解けた瞬間」なのだそうだ。被害者たちは「モラハラ」という言葉で覚醒されるようなのだが、私は別のことに気がついた。

イヤミスの応酬

 そもそもモラハラ(態度や言葉による嫌がらせ)は夫婦より、女性同士の関係に起こりがちなことではないだろうか。
 というのも、先日私は連続ドラマ『5人のジュンコ』(権野元監督/WOWOW)を観た。ジュンコという名前の5人の女性が織りなすサスペンスだったのだが、その内容は女性の女性に対するいじめや嫌がらせの連続、息もつかせないほどのモラハラ行為の応酬で、それがとてもリアルに感じられたのである。
 中学生時代にひとりのジュンコがもうひとりのジュンコにモラハラし、モラハラしたほうのジュンコは後に連続殺人犯となり、モラハラされたほうのジュンコは就職先でもモラハラの被害を受け、モラハラのトラウマに苛まれているようだが、実は本当にモラハラしているのは……という展開。モラハラ行為のバリエーションを見せられ、さらには真のモラハラとは何かと考えさせられる傑作サスペンスだったのだ。
 原作はミステリー作家の真梨幸子さん。彼女は「イヤミス」の旗手と呼ばれている。イヤミスとは読み終えた後にイヤな気分になるミステリーのことで、早速、原作(真梨幸子著『5人のジュンコ』徳間文庫 2016年 以下同)を読んでみると、モラハラをするジュンコのことを「『不細工』な容姿」と記していた。「目の大半は脂肪をたっぷりたくわえた瞼に覆われ、鼻も脂肪の固まりのような団子、なのに、唇だけが貧相なほど薄く、顎はしゃくれていた」という具合で、脇からは「悪臭」も放つという。ジュンコは醜悪の極みという描写で、これも一種のモラハラといえる。『「モラル・ハラスメント」のすべて』(前出)によれば、

 ・「不細工」「デブ」などとあなたの外見をばかにしたり、学歴・職歴をばかにする

 というのはひとつの「モラハラ行為」。著者自身が登場人物をモラハラしており、著者のモラハラに読者も誘導され、モラハラの世界に引き込まれていくという仕掛けなのだ。イヤミスとはモラハラによるモラハラのサスペンス。男の私などが読んでいると、男がほとんど登場しないので、女同士こそがモラハラだと教示されるようである。モラハラには鋭い刃のような憎悪が必要なようで、間抜けな男が登場すると、イヤミス度が鈍る。男は邪魔だと排除されるような感覚に襲われたのである。
「女性同士では、よくあることだと思います」
 さらりと語ったのは倉光知子さん(45歳/仮名)だった。彼女は地方の国立大学を卒業後、広告関係の会社に就職したが、結婚後しばらくして退社し、現在は専業主婦。私が「モラハラとは、態度や言葉による嫌がらせのことのようですが」と説明したところ、彼女は淡々とそう続けたのである。
――よくあることなんですか?
 念のために確認すると、彼女はうなずいた。
「小学校低学年の頃からあったような気がします。それをモラハラと言うなら、学校もモラハラですし、就職すれば会社でモラハラ。ママ友だってモラハラじゃないかしら」
――すみません、その小学校低学年の頃からっていうのは……。
「友達のひとりに『〇〇ちゃんが知子ちゃんのこと嫌いみたい』と言われたりしたんです」
――それはどういう……。
 にわかに「嫌がらせ」として理解できなかった。
「要するに、誰かが私のことを嫌っているという話を聞かされるわけです。『嫌われている』と聞けば、誰だっていい気持ちはしないですよね」
 面と向かって「あなたが嫌い」というのは嫌悪感の表明であってモラハラではない。第三者を通じて、「嫌い」と知らされるのがモラハラなのだ。
「ポイントは、『嫌いみたい』という言い方なんです。『嫌い』ではなく『嫌いみたい』。曖昧に言うんです。本当に巧妙ですよね」
 不確かなウワサ話にするということ。そういえば「モラル・ハラスメント」という概念を最初に提唱したフランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌがこう指摘していた。

嫉妬や不和の種を播き、人を争わせる……。これはモラル・ハラスメントの加害者が得意とすることだ。
(マリー=フランス・イルゴイエンヌ著『モラル・ハラスメント』高野優訳 紀伊國屋書店 1999年 以下同)

 モラハラとは自分が争うのではなく、人を争わせる。人の悪口を言うのではなく、「それとなく人の悪口を言う」。あるいは「誰かが言っていたことを暴露する」、言っていないことでも「嘘をついてまで人を争わせる」のがモラハラなのである。
 実際に「あなたのことを嫌いみたい」と言われれば、私もまず「なんで?」と思うような気がする。なんでわざわざそんなことを言うのか、と。「嫌いみたい」とは、どういうことなのか。その人が本当に「嫌い」と言ったのだろうか。何かの聞き違いや文脈を読み違えたのではないだろうか。もしかすると勝手に「嫌い」だと推察しているのかもしれず、だとするなら何を根拠にそう推察するのだろうか。
――本当のところを確認したくなりませんか?
 私がたずねると、倉光さんが首を傾げた。
「そこで確認しようとすると、おそらくドツボにハマるんだと思います。『嫌われている』ということに耐えられない人は、気になって気になって仕方がなくなる。それで自分を嫌っているという人に対して媚びを売ったり、不自然な行動に出てしまうのかもしれません。すると相手に気味悪がられ、本当に嫌われることになったりするんです」
――本当に嫌われる?
「どっちにしろ、本人は『嫌い』なんて言いません。表向き誰もが誰も嫌いではないし、嫌われたくもないわけですから。そうなると誰がそんなこと言ったのかということになって、言った人を責めたくもなりますが、言った人も『嫌いみたい』と言っただけで、『嫌い』とは言っていない。要するに誰も『嫌い』とは言っていないのに、『嫌い』と言われたことに苛まれるという手口なんです」
――なるほど。
 私は溜め息をついた。真犯人が見つからない、嫌がらせ事件ということか。マリー=フランス・イルゴイエンヌもこう記していた。

 モラル・ハラスメントの加害者はあまり直接的な嘘をつくことはない。それよりも、まず当てこすりやほのめかし、あるいは言葉以外の身ぶりや態度で相手が誤解するように仕向けることのほうが多い。
                     (同前『モラル・ハラスメント』)

 直接的な嘘ではなく、曖昧な言い方をして相手を誤解させる。誤解させて苦しめ、さらには「それは誤解だ」と相手を攻める材料にするという。誤解のダブル効果を狙った「嫌がらせ」のようだが、なぜわざわざそんな回りくどいことをするのだろうか。

幸福が仇となる

 マリー=フランス・イルゴイエンヌによれば、こうしたモラハラの手法は中国の古典『孫子』に通じているという。その極意はひと言でいうと、

兵とは詭道(きどう)なり。
           (『新訂 孫子』金谷治訳注 岩波文庫 2000年 以下同)

「詭」とは「いつわり欺く」こと。兵法とはすなわち相手を騙すことであり、そのために重要な役割を担うのは「間(スパイ)」だという。相手方に「間」を送り込んで、偽りのウワサ話を流し、お互いを疑心暗鬼にする。そしてこちら側は「無形」になるようにつとめるべし。形を読み取れない無形。自分たちの正体はわからないようにして相手を混乱に陥れるという戦略なのだ。
『孫子』はモラハラ兵法だったのか。モラハラの原点は意外なことに中国だったのだろうか、などと考えていると倉光さんが続けた。
「誰も自分からは悪口を言いませんよ」
――そうなんですか。
 悪口はみんなで言っているように思えたのだが、「自分から」ではないらしい。
「だって、『悪口を言っている自分』というのは恥ずかしいことでしょ」
――では、悪口はどこからわいてくるんですか?
「話をしている時に、誰かのことについて『なんであの人はあんなことするんだろうね?』と訊いたりする。つまり、カマを掛けるんです。まず疑問を呈してみて、相手の様子を見る。そこで『ほんとだよ』『どうしてだろうね』『なんか事情があるのかな』『なんであんなにだらしないんだろう』『性格かもね』『ほんとに困っちゃうね』などと乗ってきたら、それはもう悪口ですから。その人が悪口を言っていたことになって、あらぬ恨みを買うことにもなる。そこから悪口のループに入るわけです」
『孫子』を超えている、と私は感心した。練りに練られた高度な戦術のようで、なぜそんなに手の込んだことをするのかというと、調子に乗っている人を「ちょっと傷つけたい」「傷ついたところを見たい」「傷つく様子を見てスッキリしたい」とのこと。案外、他愛のない動機なのだ。
――倉光さんも、そうなんですか?
 恐るおそるたずねると、彼女はうつむいた。
「私はずっとやられてきたほうですから」
――モラハラされてきたということ……。
 私が言いかけると、彼女が遮った。
「でも、ぜんぜん平気です」
 晴れやかな倉光さん。
――そうなんですか?
「だって私、むしろ嫌われたいくらいですから。そういう仲間になりたくないんです」
 彼女は「孤独」になりたかったそうなのだ。
「誰だって性格の合う合わないはあるでしょ。嫌いな人だっているでしょ。『嫌いみたい』と言われた時も、私は『わかった、じゃあもう口きかないから』と答えたんです。私のことを嫌いなら嫌いで仕方ありませんから。そしたら彼女は目を丸くしていましたね」
 被害になっていないので、モラハラは成立しないということか。
「こういう嫌がらせは人から嫌われたくない人、誰からも好かれたい人が傷つくんじゃないでしょうか」
 嫌われたくないから「嫌い」で傷つく。誰からも好かれたいから「嫌い」の一言でショックを受けてしまうのだ。
「それと友達幻想です。友達と仲良くしたい、仲良くすべきだなどと思い込んでいると、相手に同調しているうちに悪口のループにハマってしまいます」
 モラハラの原因は「友達と仲良く」という道徳にあるらしい。『学習指導要領』に明記されている「友情の尊さ」「心から信頼できる友達」(『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編』文部科学省 平成29年)などという徳目を心がけることが被害者への道なのである。モラル・ハラスメントの「モラル」とは被害者側の「モラル」ということか。受ける側の「モラル」がハラスメントを成立させる。被害者についてはマリー=フランス・イルゴイエンヌもこう記していた。

 モラル・ハラスメントの加害者にとって理想の被害者とは、良心的で、罪悪感を持ちやすいタイプの人間である。つまり、すぐに自分が悪かったのではないかと考える人間だ。
                   (前出『モラル・ハラスメント』以下同)

 言い換えるなら、道徳的な人ということではないだろうか。被害者は虐待行為についても自分に原因があるのではないかと考えてしまうらしい。加害者のほうは、「お前のせいで虐待している」などと思っているので、自分のせいだと考えることはそのまま受け入れることになってしまう。彼女によれば「素直な性格で、人の言うことを信じやすい」というのも被害者の特徴で、そういう人が「警戒心の強い人間に心を開いたら、警戒心の強い人間のほうが権力を持つに決まっている」のである。加害者は相手を軽蔑しながら攻撃する。被害者はその行動に対して理解を示し、適応し、さらには許してあげようとしたりする。加害者には被害者の特性がわかっており、それにつけ込んで攻撃を加えるので、虐待はとめどなくなるそうなのだ。さらに被害者にはこんな特徴もあるという。

誰から見ても喜びにあふれ、幸福そうに見える。そのため、人から羨望されることになりやすい。被害者になるような人間は何かを持っていることの喜びを隠せない。また、幸福を言葉や態度に表わさずにいることができない。

 隠しきれない幸福。あふれんばかりの幸福のようだが、あくまでそう「見える」だけ。著者によれば、見えるというより、そう見せようとしているそうで、被害者とは「自分自身に自信が持てないせいで自分の長所を強調し、必要以上に自分をよく見せようと思っている人間」なのだそうだ。
 被害者の自己顕示欲がモラハラを招くようで、そうなると被害者にも非があることになる。しかし、だからといってそれにつけこむ加害者はもっと悪質なわけで、マリー=フランス・イルゴイエンヌによると、加害者は人を愛することができない「自己愛的な変質者」だという。
 変質的なまでのナルシスト。ナルシストの語源である『変身物語』(オウィディウス著)のナルキッソスのように、他人は自分を映す鏡にすぎず、その鏡に映った自分しか愛せない。それゆえ鏡は常に必要だが、鏡が自己主張などをすると容赦なく破壊する。加害者は「精神の連続殺人」を繰り返す、「精神の吸血鬼」。すなわち悪魔だといわんばかりで、その特徴を私なりにまとめてみると、

 ・直接的なコミュニケーションを拒否する。
 ・返事をしない。
 ・会話を歪める。
 ・曖昧な言い方で誤解を誘導する。

 その結果、相手を「不安に陥れる」。そして徹底的に相手を苦しめるのだという。
 もしかして俺のこと?
 反射的に私は思った。言われてみれば、私は妻に話しかけられても返事をしないことが多々あるし、常に話を逸らせようと画策している。私に非があることでも、さりげなく別の話にすり替えて、彼女が自責の念に駆られる方向に持っていこうとしているような気がする。実際、妻は恋人時代からよく「不安だ」と嘆いていた。知らないうちに加害者になっていたことに私は気がつき、早速妻に確認してみると、彼女はこう答えた。
「不安なわけないじゃん」
――でも、よく不安って言ってたけど……。
「それはあなたに『不安』だと言って、反応を見たのよ。あなたを不安にさせるために言っただけ。現に35年も前のことを気にしてるじゃないの。ずいぶん効き目があったのね」
――罠ってこと?
「そうね。私はあなたにフラれたって構わない。だってモテるから。男は他にもいっぱいいるもの。あなたは知らないかもしれないけど、私ってモテるのよ」
 勝ち誇ったような顔の妻。不道徳な表情というべきか、大体、モテるって何なんだよ、と私は憤った。おそらくこれこそ「嫌がらせ」だろう。現実ではなく、ただの嫌がらせ。ただの嫌がらせだとわかれば、それはモラハラにはならないのである。

Profile

髙橋秀実

たかはし・ひでみね。1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』『パワースポットはここですね』など。近著に『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』がある。

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